とある男の生きる道
自分の成長につなげるためのブログ。アフィリエイトやSEO、後は格ゲーについて書きます
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プロ格闘ゲーマーのあり方と、人による違い
"格ゲーマー"ウメハラが2010年4月に"プロ格闘ゲーマー"になってから5年が過ぎました
目の前に道が無く、草木を狩る道具も無く、頼れる仲間もいない状況で、まずは1人で飛び込んだウメハラ
今でこそ10年前と比べて隆盛を誇るようになった格ゲー、格ゲー配信、格ゲー大会であるが
ウメハラがプロゲーマーとなった当初は配信もあまりなく、今では古株となった顔TVが始まってすらおらず、中野TRFを始め動画をアップされてはいたが、今よりもコアな層向け、という意味合いだった、そんな中
ウメハラが大会に出るぞ!ウメハラの動画があるぞ!
そんな入り口から格ゲーに目が向く人が増えた
それから、ときどが苦しい道を辿りながら自分の手で"プロ"になり
sakoが掛け持ちゲーマーとして初めて日本のメーカーと契約し"プロ"になった
マゴがウメハラ、ときどに続き、ももち、チョコがまた違うメーカーと契約し
金デヴ、RFも違うメーカーと、ふ~ど、板橋ザンギエフが続き、プロ格闘ゲーマーの道は開かれたかのように見えた
ふ~ど、板ザンが契約したのが2012年、それからプロ格ゲーマーの門戸は開かれておらず
金デヴ、RFが所属していたe-Liveが活動停止し、最多の人数を誇った時期からすると縮小すらしている感もある
だけど、プロになったそれぞれのゲーマー達が、それぞれの立ち位置、立ち振舞いで業界においての地位をある程度固め、いろんな層に対して"プロ"として そして格闘ゲームへの取り組み方も増えてきたように思う
"sakoのコンボスゲー!" "マゴに会ったけど、優しいし、気さくだわ!"
"ふ~どって色々ゲームできるのかー!" "板ザンの試合めっちゃ熱い"
それぞれ違う形で取り組んでおり、誰も変わりはいないと思う
もちろんウメハラという実力、人気、そして先駆者としての功労を頂点としていることは変わりないが、誰しもがプロ格闘ゲーマーとして"ウメハラ"を目指す必要は無いと思っている
プロが実力だけで見られるかと言われると、私個人としては違うと思います
プロだから強く、プロだから華麗に、プロだから人より前に、プロだから、プロだから!
正直そんなもの二の次だと思っています。あればOK、無くてもいいんじゃね?そんな軽い気持ち
かと言ってお金を貰っているからプロで、生活できるからプロなのか、というとそれもまた違い
プロというのは、どうやって一般人とゲームの垣根を埋められる存在であるのか?と考えています
強さ、結果を見せて大会を制していく過程を共に楽しむのもプロ、普段は勝てていなくても、いざ勝負どころで手に汗握る勝負を見せるのもプロ
ときどが自分のプレイスタイルに限界を感じ、脱却を計って自分の殻をぶち破って上を目指す姿勢を見せたのもプロ
近年まで目立った戦績は残せなかったが、一気にのし上がっていたももちの姿もプロ
プレイだけではなく、言葉や表現、日々の行動で活動を見せていき"ゲームってこれだけ面白いんだ!"と思わせるのもまたプロのやり方
ただ強いだけのプレイヤーなんて、アマチュアにごまんといます
それだけでスポンサーが付くのかというと、付かないのが今の格ゲー業界
なぜスポンサーが付いたのか?メーカーからすると宣伝の意味もあるでしょうが
"その人間に対価を払い、格闘ゲームのシェアが拡大する可能性を上げられる"
そんな人間にこそスポンサーが付くものだと思っています。それは決して強いだけのプレイヤーではありません
上を目指す人間もいれば、同じ場所から視線を合わせて、ゲームに関していくことができるプロもいればより魅力は上がるのではないでしょうか?
5年経った今だからこそ、固まりつつある"プロ格闘ゲーマー"という意味を、当人達だけではなく、ゲームをプレイする人間、ゲームに関する人間それぞれが考える必要もあるのではないのかな?と考えた次第
という本文でした。某配信を見て某プロゲーマーが凄い熱い話をしていたので、一気に書いてみたくなった次第、とんでもないオ○ニー文章だけどね・・・
もしまがり間違ってこの記事を見た人からすると、何こいつ必死じゃね?と思うかもしれないけど、それだけ必死になって取り組めるものがあることを、私はとてもありがたく思います
目の前に道が無く、草木を狩る道具も無く、頼れる仲間もいない状況で、まずは1人で飛び込んだウメハラ
今でこそ10年前と比べて隆盛を誇るようになった格ゲー、格ゲー配信、格ゲー大会であるが
ウメハラがプロゲーマーとなった当初は配信もあまりなく、今では古株となった顔TVが始まってすらおらず、中野TRFを始め動画をアップされてはいたが、今よりもコアな層向け、という意味合いだった、そんな中
ウメハラが大会に出るぞ!ウメハラの動画があるぞ!
そんな入り口から格ゲーに目が向く人が増えた
それから、ときどが苦しい道を辿りながら自分の手で"プロ"になり
sakoが掛け持ちゲーマーとして初めて日本のメーカーと契約し"プロ"になった
マゴがウメハラ、ときどに続き、ももち、チョコがまた違うメーカーと契約し
金デヴ、RFも違うメーカーと、ふ~ど、板橋ザンギエフが続き、プロ格闘ゲーマーの道は開かれたかのように見えた
ふ~ど、板ザンが契約したのが2012年、それからプロ格ゲーマーの門戸は開かれておらず
金デヴ、RFが所属していたe-Liveが活動停止し、最多の人数を誇った時期からすると縮小すらしている感もある
だけど、プロになったそれぞれのゲーマー達が、それぞれの立ち位置、立ち振舞いで業界においての地位をある程度固め、いろんな層に対して"プロ"として そして格闘ゲームへの取り組み方も増えてきたように思う
"sakoのコンボスゲー!" "マゴに会ったけど、優しいし、気さくだわ!"
"ふ~どって色々ゲームできるのかー!" "板ザンの試合めっちゃ熱い"
それぞれ違う形で取り組んでおり、誰も変わりはいないと思う
もちろんウメハラという実力、人気、そして先駆者としての功労を頂点としていることは変わりないが、誰しもがプロ格闘ゲーマーとして"ウメハラ"を目指す必要は無いと思っている
プロが実力だけで見られるかと言われると、私個人としては違うと思います
プロだから強く、プロだから華麗に、プロだから人より前に、プロだから、プロだから!
正直そんなもの二の次だと思っています。あればOK、無くてもいいんじゃね?そんな軽い気持ち
かと言ってお金を貰っているからプロで、生活できるからプロなのか、というとそれもまた違い
プロというのは、どうやって一般人とゲームの垣根を埋められる存在であるのか?と考えています
強さ、結果を見せて大会を制していく過程を共に楽しむのもプロ、普段は勝てていなくても、いざ勝負どころで手に汗握る勝負を見せるのもプロ
ときどが自分のプレイスタイルに限界を感じ、脱却を計って自分の殻をぶち破って上を目指す姿勢を見せたのもプロ
近年まで目立った戦績は残せなかったが、一気にのし上がっていたももちの姿もプロ
プレイだけではなく、言葉や表現、日々の行動で活動を見せていき"ゲームってこれだけ面白いんだ!"と思わせるのもまたプロのやり方
ただ強いだけのプレイヤーなんて、アマチュアにごまんといます
それだけでスポンサーが付くのかというと、付かないのが今の格ゲー業界
なぜスポンサーが付いたのか?メーカーからすると宣伝の意味もあるでしょうが
"その人間に対価を払い、格闘ゲームのシェアが拡大する可能性を上げられる"
そんな人間にこそスポンサーが付くものだと思っています。それは決して強いだけのプレイヤーではありません
上を目指す人間もいれば、同じ場所から視線を合わせて、ゲームに関していくことができるプロもいればより魅力は上がるのではないでしょうか?
5年経った今だからこそ、固まりつつある"プロ格闘ゲーマー"という意味を、当人達だけではなく、ゲームをプレイする人間、ゲームに関する人間それぞれが考える必要もあるのではないのかな?と考えた次第
という本文でした。某配信を見て某プロゲーマーが凄い熱い話をしていたので、一気に書いてみたくなった次第、とんでもないオ○ニー文章だけどね・・・
もしまがり間違ってこの記事を見た人からすると、何こいつ必死じゃね?と思うかもしれないけど、それだけ必死になって取り組めるものがあることを、私はとてもありがたく思います
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